ドーハに到着しましたが、ブカレストまでのQR-0219に乗り継ぎますが乗り継ぎの時間は4時間ぐらいあります。このドーハの空港は古くて何もない上に、トイレが少なく長蛇の列が出来ています。イスラム圏なので酒も売っていません。しかし帰国時は新しい、ターミナルに代わっており非常に快適でした。しかも酒が飲めるようになっていました。
飛行機に乗るのもバスです。機内でも昼食相当が出ました。
5月26日27日(1日目、2日目)
カタール航空でドーハまで行きますが、まず成田空港には車で行きました。USAパーキングをいう空港周辺の駐車場に行き、そこからは駐車場のバスで空港ターミナルまで行きます。
スファトゥルイ広場(Piac a Sfatului)
ブラショフ旧市街の中心に位置したスファトゥルイ広場はレプブリチ通り(Strada Republicii)の起点で,晴れた昼間であれば市民憩いの場であろう.左側は1420年建築という旧ブラショフ市庁舎で,現在は歴史博物館となっているそうだ.
カテリーナ門(Ekaterina Gate)
バスで最初の宿泊地、北部のブラショフへ向かいます。165kmあります。
ホテルにチェックイン
夕食はホテルのレストランです。
同じ場所にあったそれまでの教会に代わり,1477年に作られたそうだ.1689年オスマン帝国とハプスブルク帝国軍の戦いで大火が起こり,それで焼け焦げて黒くなり,黒の教会と呼ばれるようになったそうだ.後期ゴシック様式で,高さ65mということだ.正教ではなくプロテスタント教会(ルター派)だそうで,本来の正式名は聖マリア教会ということだ.大きな礼拝堂にはルーマニアでは最大級というパイプオルガンが据えられ,またオスマン帝国のスルタンから寄贈されたというアナトリア産カーペットなども飾られている.オスマン帝国がキリスト教徒に対しても一定の理解と尊厳を示したことの表れであろうか.教会の周辺には当時設立された学校の施設なども残っている.教会は教育機関でもあったそうだ.
スケイ門の直ぐ近くにあって,1559年建設という門.尖塔がなかなか見事だ.カテリーナの名前は,当時近くにその名を冠した女子修道院があったことに由来するらしい.門の上部にはブラショフの紋章が嵌めこまれている.
聖ニコラエ教会前の共和国広場にある、教会の関連施設です。
さてブラショフ旧市街に着くと先ず聖ニコラエ教会を訪ねた.教会前は広場となっており,共和国広場と称されるそうだ.つまり2次大戦後,共産党が支配してから,あのチャウシェスク政権が崩壊した1947年~1989年のルーマニア人民共和国時代に因むのであろう.広場中央にはその建国に関わったであろう銃を携えた兵士の銅像が置かれている.聖ニコラ協会はルーマニア聖教の教会としてトランシルヴァニアとルーマニア双方のスタイルを取り入れて16世紀-18世紀にかけて建設された。この教会が出来た場所には14世紀からの木造の教会があった。建設に当たってはモルドヴァとワラキアの教会の協力を得た。教会には18世紀のフレスコ画が描かれ、数多くのルーマニアの古美術品有する。この教会に隣接してPrima Scoala Romaneasca"初のルーマニア語による学校がある。これは1399年に建造された木造の学校をひきつぐ物で、1597年-1766年にかけて現在の形にルーマニア風スタイルの影響を多分に受けて建設された。また、ここではルーマニア初の印刷物が印刷された。現在で博物館になっている。
ブラショフに到着しましたが、あいにくの雨です。小雨なのでこれからの観光にはあまり影響はなさそうです。
20時間以上かかってやっとブカレストに到着しました。ドーハ経由は疲れます。現地時間は5月27日13:20です。
22:30発のQR-0807便でドーハへ向かいます。11時間45分もかかります。
機内では食事が2回出てきます。夜食と朝食という感じです。
空港に着いたら団体チェックインカウンターで手続きをします。荷物の重量は2つで35kgです。カタール航空の場合は、1人30kgまでなので、まったく問題ありません。
これがスケイ門と呼ばれるブラショフの内と外を分ける門.こちらがメインゲートだと思うがシンプルデザインで,寧ろ隣のカテリーナ門が豪華な感じだ.周囲は城壁が連なっている.
フライトの搭乗時間(21:30)までには、余裕があったのでビールを1杯飲みました。しかし飲食店が20時までしかあいていません。1杯しか飲めなかったので、健康にはよかったのですが成田空港を国際空港というには、ちょっと無理があります。