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時計塔

14世紀半ば,自治権獲得を記念して建てられたそうだ.16世紀半ばまで市議会議事堂として活用されていたが,その100年余り後大火で消失し,再建された姿が現在に残るようだ.

とっておきブルガリア・ルーマニア 2ヵ国周遊10日間
夕食

夕食はフリーだったので、ブラショフの目貫通りのレストランで頂きました。ビールを3杯、赤ワイン1杯と料理で60RON(1,800円)と格安だった。

5月28日(3日目)

ビエルタン要塞聖堂のドア

礼拝堂の左側に隣接した宝物庫(聖具など収納する)の入り口ドアはあまり厚くはない木製(樫の木)であるが,上下左右合わせて16本もの鋼鉄製かんぬきが掛かるという大した代物だ.かんぬきの開閉は中程のロックメカニズムで16箇所をまとめて操作するそうだ.このドアは1900年パリ万博に出品され,その精巧さから何とか賞を受賞したそうである.

朝の散歩

ホテルの周辺を早起きして散歩しました。

サスキズ(Saschiz )要塞教会

シギショァラ市から20km離れた、サスキズ村の西の方にこの教会はあります。14世紀、サシ人によって建てられた要塞です。高さ7~9mの石造りの城壁に囲まれて、天守閣も付いています。この教会は村の中ではなく、村の近郊に建てられていることが、ほかの要塞教会との大きな違いかもしれません。内部の城壁、防御のための「門の塔」と「監視の天守閣」、そして中心にあるチャペルなど、要塞の大部分は当時の状態まま残っています。

見張り塔

要塞聖堂は要塞として,オスマン帝国やハプスブルク帝国(神聖ローマ帝国)の軍から守る役目があった.その機能の一つとして,外敵の襲来を見つけ出し,監視するためこのような見張り塔が設けられたそうだ.

ビエルタンの要塞聖堂(Fortified Church in Biertan)


この地には最初カトリックの聖マリア聖堂が12世紀に建てられたが,現在の聖堂は16世紀初頭ゴシック様式で建設されたものだそうだ.そして途中マルティンルターの宗教改革がここトランシルヴァニア地方にも広まったことを受けて,プロテスタントの聖堂へと変換されたようである.但し,前述のように敷地内には幾つかの建物があり,その中の一つはカトリックの礼拝堂として継続しているようである.この礼拝堂には,正面に28枚の絵画パネルや,大きな石で彫刻された説教壇や,パイプオルガンが備えられていた.

山上教会

正式には聖ニコラウス教会というのだが,普通山上教会と呼ばれるそうだ.当初カトリックの聖堂として建立され,ゴシック様式で完成したのは1525年だそうである.ただし,完成から20年後くらいにはルーテル派の教会に転換されたそうである.この教会脇には付属の山上学校もあって,現在もドイツ語学校として役割を担っているそうである.

屋根付き階段

どうして階段に屋根があるのかちょっと不思議だが,冬に急な階段で足元が凍ったりすると危険なためらしい.階段上終端は山上教会への道に連なっている.階段のステップは,6つのステップの後,7つ目が踊り場となっており,このリズムの繰り返しで上に至る.この構造はキリスト教の7日目毎に安息日がくることに由来するそうだ.

シギショアラ旧市街(old town of Sighisoara)

ブラショフからバスで120kmの所にあるシギショアラ旧市街に到着した.先ずはこの入り口門をくぐる.この塔の門は仕立業者ギルドの塔だったのだそうだ.シギショアラは前ページのブラショフ同様トランシルヴァニア地方に含まれ,ハンガリー王の支配下で12世紀からドイツはザクセン人の植民地となった地だ.入植したザクセン人は故国で堅固なカルテルとしてギルドを形成したと同じように,ここトランシルヴァニア地方でもそれに倣ったそうである.この門はそんな業種別ギルドの仕立業界の本部といったところであろう。

朝食

昼食はドラキュラレストランで

ドラキュラ伯爵の生家,つまり実家ということになろうか。現在はレストランとして営業し,ここで昼食を頂いた。