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ワイマール

ワイマールは、「ドイツのアテネ」ともいわれ国土のほぼ中心に位置する文化の薫り高い古都です。バッハの街と言うよりはゲーテやシラーが活躍した文芸の街として、あるいはグロピウスが創設した総合芸術学校バウハウス発祥の地として、またこの地で発布された革新的な民主的憲法を持ちナチスに葬り去られた「ワイマール共和国」の名前とともに、日本人にもなじみの深いところです。


国民劇場

ゲーテ「ファウスト」、シラー「ヴィルヘルム・テル」などが初演された。ゲーテは宰相として劇場監督も兼任していた。その後1848年にリストが監督となり、50年にヴァグナーの「ローエングリン」を初演した他、自身の交響詩「前奏曲」など多くの初演をしている。1889~94年にはリヒャルト・シュトラウスが監督をつとめ、交響詩「ドン・ファン」を初演している。建物は何度か焼失しており、今の姿になったのは1907年のことである。1919年にここで「ドイツ共和国憲法」が制定された。(世界遺産には登録されていない。) 劇場の前にはゲーテ(左)とシラー(右)の像があります。

ロマンチック街道・ゲーテ街道・古城街道 へ行くロマンチックドイツ10日間

ゲーテの家

ゲーテは1782年に町の中心部の館へ引っ越し、亡くなる1832年までの50年間をここで暮らした。18世紀初頭に建てられた立派な館で、一階敷地内部に馬車が通れる道が作られている。右端と左端にある大きな扉は屋敷内の道で繋がっており、ゲーテの時代に馬車は一方の扉から入って他方から出てきた。

朝食

ホテルのレストランは立派なものです。さすがはドイツのスペリアークラスのほてるです。並んでいる料理も種類が多く文句のつけようがありません。いくら取ってもただなので食べ過ぎには注意が必要です。

旧市庁舎

旧市庁舎は、1556~57年に当時の市長ヒロニムス・ロッターによって市政の場として建設されて以来、ライプツィヒの市民自治の象徴となってきました。ドイツ・ルネッサンス建築で最も美しい建造物に数えられ、重苦しい空気漂う旧地下牢から上階の壮麗な式典広間(Festsaal)、そしてバロック様式の庁舎塔の先端の装飾まで、建物自体がライプツィヒ史の奥深さを生き生きと物語ります。1905年に新市庁舎にその役目を譲り、第二次大戦では屋根部分が損壊したものの、市民の熱意によって戦後元通りに修復されました。

市庁舎

市庁舎に面した四角い広場には、果物や野菜、切り花や鉢苗、ホットドッグなどの出店で賑わっていました。周囲は市庁舎のほか、ホテルやレストランが多く、少し歩くだけで国民劇場、ゲーテやリストが住んでいた家、アンペルマンショップなどに行けます。周囲の建物も、足元の石畳も、店の商品も、全てが絵になるヨーロッパらしい風景でした。

7月27日(2日目)
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夕食

ランチ

ランチはそのマルクト広場に面したツーリストインフォメーションの地下でした。

ライプツィヒ

ライプツィヒ(ライプチヒ)はドイツ東部、ザクセン州に位置する都市です。ヨーロッパ大陸の中央に商都として発達し、時代ごとに様々な文化の花開いたこの街は、トーマス教会少年合唱団やゲヴァントハウス管弦楽団、そして作曲家バッハ、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、瀧廉太郎らゆかりの音楽の街として国際的に知られてきました。ドイツで2番目に古いライプツィヒ大学では文豪ゲーテ、哲学者ニーチェ、日本近代文学の巨峰・森鷗外、ドイツ首相メルケルらが学び、さらには世界最古の日刊紙発行をはじめとする書籍出版、ヨーロッパのナポレオン支配を終結させた諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)、世界初となる見本市開催、当地で始まった東西ドイツ統一運動など、歴史の舞台としても唯一無二の個性を持っています。


トーマス教会

中心街のニコライ教会とトーマス教会は、市内の2つの主要教会として歴史上ライプツィヒの信仰と音楽の分野における重要な役割を果たしてきました。中でもトーマス教会は作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハゆかりの場所、そしてトーマス教会少年合唱団の活動の舞台として世界的に知られています。

ホテルにチェックイン

ベルリンのホテルは2連泊です。良いホテルでした。