朝食
種類も豊富で食べ過ぎに注意が必要です。さすがは先進国ドイツのホテルです。文句のつけようのない朝食です。
ポツダム
かつてプロイセン王国の居城都市だったポツダムは、とりわけ文化遺産で広く知られており、類い稀な宮殿や庭園が数多く残っています。 プロイセン王国の栄華、偉大な建築家や科学者の都市としての伝統、冷戦時代における東西両陣営の接点……ポツダムは、息を呑むような文化と歴史を今日に伝えています。
サンスーシー宮殿
サンスーシ宮殿は、プロイセン国王のフリードリヒ2世が1745~47年に建てたロココ様式の宮殿です。当初は夏の離宮として建てられたものの結果的にはここが居城となりました。フリードリヒ2世の好みを反映した平屋建てのこじんまりとした建物ですが、音楽室だけは不釣合いなほど豪華に造られています。文化や芸術を愛したフリードリヒ2世はここで音楽会などを催しました。サンスーシとはフランス語で「憂いなし」の意味で、静養に訪れたフリードリヒ2世の心境が表現されているかのようです。
ランチ
我々は団体旅行なので予約していますが、一般客の長い列が出来ていました。
ペルガモン博物館
世界遺産に登録されたベルリンの博物館島には、5つの博物館・美術館がある。島というのは市内を流れるシュプレー川の中州のことで、19世紀半ばから次々と博物館や美術館が建てられていったのでムゼウムスインゼル(博物館島)と呼ばれている。博物館島の中でも必見なのが「ペルガモン博物館」です。
博物館の目玉「ゼウスの祭壇」は、入ってすぐの大きな部屋にある。古代ヘレニズム期のペルガモン王国で建設されたものだが、まず、祭壇の大きさに驚く。しかもこれは全体の3分の1だけ。つまり本当はこの3倍もあるとわけだ。
ギリシャの神々と巨人たちとの戦いが祭壇装飾のテーマで、ゼウスが巨人たちと戦っている場面が祭壇に彫り込まれている。
ベルリン観光
ブランデンブルグ門
1790年(約200年前)にプロイセン王国の凱旋門として建てられたこの門を境に、その両側に東西ドイツを分けるベルリンの壁が設けられていた。ドイツの敗戦後数十年間誰もこの門をくぐることは出来なかったが、ソ連崩壊と共に1989年開放されて、今では観光のメッカとして門前の広場は賑わっている。門の上には勝利の女神と四頭だての馬車カドリカが飾られている。道路にはベルリンの壁の跡がありました。
夕食
18世紀にフリードリッヒ2世によって建てられた宮殿。後期バロック様式の堂々とした外観が特徴で、迎賓館として使用された。貝殻の部屋、大理石の間など400もの部屋がある。内部に入ると靴の上から履く大きなスリッパを履かされるので歩きにくい。
館内もう一つの目玉は「イシュタール門」。古代バビロニアで紀元前6世紀に建設されたもので、青い彩釉煉瓦の壁に想像上の動物が描かれている。イシュタールとは戦いの女神で、彼女を守っているのが聖なる動物ライオン。この門も見事だが、そこへ続く道がまた素晴らしい。門と同じ青彩釉煉瓦の壁に忠実そうなライオンが描かれている。
ベルリンの壁
第二次世界大戦においての敗戦国であるドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国にそれぞれの地域を占領されました。ソ連はベルリンの東側、残りの国々は西側を占領し、首都であったベルリンにドイツを4カ国で共同統治する機関を置くことになりました。しかし、これら4カ国の内ソ連のみが社会主義で、その他の国は資本主義であった為、対立するようになり、その結果として本来は一つの都市であるベルリンが、西ベルリン・東ベルリンと呼ばれるようになりました。