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とっておきブルガリア・ルーマニア 2ヵ国周遊10日間

これは結婚式の記念撮影ではなく、高校生の卒業記念撮影会だそうです。皆さんきれいに着飾っています。

ブカレストの凱旋門

ブカレストに到着しました。車窓から凱旋門が見えてきました。凱旋門と言えば先ずパリのそれを思い浮かべるが,ブカレストにもあった.そう言えばニューデリーにもインド門と呼ばれるものがあった.第一次世界大戦の勝利を記念して1922年に建てられ,後の1936に改築され現在の姿になったそうである.パリの凱旋門を模したそうで,かなり似た雰囲気に感じられる.

ホテルにチェックイン

夕食

夕食はCARU CU BEREという1879年オープンのレストランへ行きました。大勢の人で混雑していました。

国民の館

この巨大な建物は国民の館(House of the people)として旧チャウシェスク大統領が建てた(未完だったそうだが)ということだ.名前とは裏腹に実際は宮殿として建設していたようだ.部屋数が3,000を越え,何でもペンタゴンに次ぐ世界で2番目の大きさ(床面積)だそうである.また大きさもさることながら,建材や調度品は極めてゴージャスで,建設には巨額の税が投入されたそうだ.それ故,それでなくとも楽ではない国民生活をさらに圧迫したそうだ.現在はルーマニア議会の議事堂や観光施設として使われているそうだが,あまりにも巨大で,使われていない部屋が多いようだ.

クレツレスク教会(Biserica Cretulescu)

旧王宮の側で,そこから少し離れて建つグレツレスク教会.18世紀建立で,ブカレストでは一番古いルーマニア正教の教会になるそうだ.2つの尖塔やレンガと漆喰で固められた外観が歴史を感じさせる.尖塔の上の十字架の横線(棒)がよく観ると3本ある.

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旧ルーマニア共産党本部と革命広場

ベージュの大きな建物が旧ルーマニア共産党本部(Fostul Comitet Central al Partidului Comunist Roman)で,ちょっと暗いがその手前が革命広場.広場には革命犠牲者のオベリスク状慰霊塔が建てられている.1945年の敗戦以降ソ連軍占領下で,ルーマニア共産党独裁,『チャウシェスク王朝』とも言えるルーマニア社会主義共和国が存続してきた.それが1980年代後半になるとポーランドを先頭に東欧諸国の民主化運動が巻き起こった.ルーマニアにおいても1989年,チャウシェスク大統領の独裁に対する反旗が上がり,この広場や付近の通りで抗議デモが繰り広げられたそうだ.そして同年12月21日,チャウシェスク大統領がこの広場で動員数10万人という官製集会を催し,写真中程,建物の窪みにある一階くらいの高さの段上から演説したという.しかし群衆の反発は半端でなく,演説は中断,治安部隊を出動し,戦車まで出て,市民に発砲,犠牲者多数発生の事態となる.

5月29日(4日目続き)