旧共産党本部

1989年の政権崩壊まで天下をとっていた共産党本部があった建物だそうだ.東欧各地で民主化運動が起こると,当時政権中枢にいたジフコフ共産党書記長が辞職し,共産党内部から改革が起こり,90年に共産党一党独裁体制を放棄.以降民主化移行し,2001年から連立内閣となったようである.

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聖ゲオルギロタンダ聖堂(St. George Rotunda)

大統領官邸の裏側(中庭)にあった.ローマ帝国支配下の4世紀,皇帝コンスタンティヌス一世(在位306~377年)の頃の創建だそうで,周囲には発掘中のように見える浴場跡などの古代ローマ遺跡とまとめて整備されたもののようだ.4世紀初頭はまだローマ帝国内でキリスト教は未公認で聖堂ではなかったが,暫くし,公認されると洗礼堂に転用され,多くの信者の洗礼に活用されたということだ.

とっておきブルガリア・ルーマニア 2ヵ国周遊10日間
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夕食はхаджидрагановите къщиというレストランです。阪急トラピックスは25周年記念ということで、シャンペンとケーキがふるまわれました。また手品を披露する方がおり楽しい食事でした。

6月1日(7日目続き)

セントラル・ハリ

正式名称をTsentralni sofiyski hali、通称セントラル・ハリ=中央市場 といいます。その名の通り、屋内にたくさんの個人店が並んでいる。目に付くのは、食べ物の市場の多さ。酪農国らしく、チーズをはじめパン、蜂蜜、肉製品、魚製品・・・といったたくさんの食品が並びます。これらの食品は、買ってそばのテーブルで食べることも出来ます。吹き抜けの建物は2階まであり、たくさんのお店で迷いそうです。またブルガリアのバラグッズなどもあり、お土産もここでOK。買い物スキ、食べ物スキにはたまらない場所です

温泉と広場

この立派な建物は公共温泉施設だそうだ.前面には広場があり,大勢の市民がここで寛いでいる.ブルガリア先祖のトラキア人は温泉を愛したそうで,この辺りの鉱泉は街造りの重要条件の一つであったようだ. そして時代は下り,オスマントルコの時代になると,ハマムとして知られるように,こちらもお風呂の好きな民族だ.そして現代ももち論温泉好きは多いし,飲んでも効用があるそうで,ここの人気は高いそうだ.

聖ペトカ教会(Church of St. Petka)

詳しくは馬具工の聖ペトカ教会(Church of St. Petka of the Saddlers)という長い名だそうだ.ブルガリアの聖ペトカ(St. Petka)と呼ばれる11世紀の聖人に捧げられた教会で,馬具工たちの守護者だったそうだ.16世紀の建立だが,ポイントはその頃はオスマン帝国の支配下にあり,それでもキリスト教会建設が認められたことだそうだ.ただ条件があり,コンパクトで,あまり目立ってはならぬ,と云うことだったそうで,そのためこうした慎ましやかな教会になったという.

聖ソフィア教会(St. Sofia Church)

6世紀,古代ローマ劇場の上に,ビザンチン様式で建てられたというから非常に古い.上述のアレクサンドルネフスキー大聖堂の左手前に位置し,その建設よりはるか遡る第二次ブルガリア帝国の時代は本聖ソフィア教会がソフィアの主大聖堂だったそうだ.

聖ニコライ聖堂(ロシア正教会/Russian Church)

いかにもロシア風な比較的小さな建物だ.3/22(金)朝覗き見したら,狭い礼拝室でお祈りの最中だった.1882年露土戦争後,オスマン帝国からのブルガリア解放を記念して,ロシア帝国によって建立されたそうだ.オスマン帝国時代にはモスクが在った場所だそうで,いかにも主権を取り戻したときにふさわしい.当地在住ロシア人のため,ロシア大使館公式の教会で,大使館の近隣になるそうだ.聖堂名前は,慣習でロシア帝国皇帝,後に列聖されたニコライ二世の名を冠したものだそうだ.

ブルガリア大統領府衛兵の交代式

大統領官邸前には二人の衛兵が立ち,17時に交代式が行われる.ということで見物したのがこのシーン.バッキンガムとかと違って二人だけ,ごくささやかで,見物人も少ない。右下の写真をクリックすると衛兵の交代式の動画を見ることが出来ます。

国立アートギャラリー

中に入ったときは既に閉館時間に達しており,展示品を見ることができなかった.小さなお土産売店で展示品の絵葉書などがあった.それらによればイコンなどが目立ったが,実際にはヨーロッパのドラクロアやピカソといった巨匠の作品から,日本の浮世絵や,インド美術,アフリカ美術...まで広く展示されているようだ.建物は元々宮殿として,1880年に建設されもののようで,とても立派だ,